考え方いろいろ 第14回〜「した」「された」~

こんにちは、アルファ日暮里駅前のBlog担当です。2026年のゴールデンウィークは、どんなふうに過ごされましたか?どんな過ごし方でもОK、それが今の姿です。
「自分がした」のか「された」のか?
日常の中で、「自分がやったことなのか」「誰かにされた(やらされた)ことなのか」で迷うことはありませんか? たとえば、スマホを見ていて、気がついたら長い時間が溶けていた時。なんだかイライラした(イライラさせられた?)時。やりたいわけでもないのに、流れで頼みごとを引き受けてしまった時。こうした出来事は、「自分の意思でやった」とも言えるし、「そうなってしまった」とも言えます。
ふだん私たちは、「する」と「される」という二つの分け方でものごとを考えがちです。しかし、このどちらにもきれいに当てはまらない出来事が、実はたくさんあるのです。ほら、心当たりがありませんか?
どちらとも言えない見方
「自分がしているとも言えるし、そうなっているとも言える」ような状態を表す言葉があります。なじみのない言葉ですが、「中動態」と呼ばれています。古くからある言葉なのですが、専門用語なのであまり耳にしませんね。
ひとつ例を挙げましょう。「夢中になる」という言い方があります。これは「自分が意識して集中した」というより、「気づいたら引き込まれていた」という感じに近いでしょう。また、「好きになる」「悲しくなる」といった感情も、「自分からそうした」とも違うし、「誰かにそうさせられた」でもなく、「自然とそうなっていく」ことが多くありませんか?
こうした出来事を、「自己責任だ!自分が選んだんだ!」と考えるのでもなく、「全部外のせいだ」と考えるのでもない。「そういう流れの中で、そうなったのかもしれない」と考えることもできるのです。
自分に責任を負わせ過ぎないためのヒント
これまでの「考え方いろいろ」シリーズでは、「自責と他責」や「自動的に浮かぶ考え方」について触れてきました。中動態の考え方は、それらと相性のよい見方です。
「またイライラしてしまった」「どうしてあんな言い方をしたんだろう」と後悔する場面が日常の中にはあります。こういう時、「自分が悪い」と強く責めてしまうと、気持ちはどんどん苦しくなります。一方で、「あの人のせいだ」と責任をほかの人に求めると、今度は関係がギクシャクしてしまいます。
そんなときに、「ああ、そういう流れの中でそうなったんだな」と少し距離をとって眺めてみる。完全に自分がコントロールしていたわけでもなく、完全に外から押しつけられたわけでもない。そのあいだで起きた出来事として受け止めてみる。そうすることで、自分を責めすぎず、かといって何もかもを他人のせいにもしない、少し柔らかい見方ができるようになります。
「間にあるもの」に目を向ける
私たちはつい、「白か黒か」「正しいか間違いか」「自分で決めたのか、誰かにさせられたのか」で物事を分けて考えてしまいがちです。でも実際には、そのあいだにあるグラデーションの部分に、たくさんのヒントがあります。つまり、できごとの「間」に目を向けてみる、という考え方もあるのです。
「自分がやったことなのか、やらされたことなのか」とはっきりさせることも大切ですが、「どちらとも言い切れない状態もある」と考えてみると、少し気持ちが楽になることがあります。
考え方いろいろ。ひとつの見方に決めつけるのではなく、「他の見方もあるかもしれない」と思ってみる。その小さな余裕が、日々の感じ方を少しだけ変えてくれるかもしれません。
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