
こんにちは、就労移行支援事業所アルファ日暮里駅前のblog担当です。ついこの間、熊本地震へのお見舞いを書いたばかりですが、今日は千葉県を中心とした大雨被害へのお見舞いを申し上げます。天災被害は他人事ではありませんね。
今日も争いが…
残念なことに、世界のあちこちで起きている戦争のニュースが報じられない日はありませんね。国家間で起きる戦争はさまざまなきっかけで発生しますが、個人の人間関係でも争いごとは日常的に起きてしまいます。こちらのきっかけは、だいたいが「怒り」によるものが多いような気がしています。
我慢すれば済むのか?
前回の記事では、怒りは危険から自分を守るための自然な反応だ、というお話をしました。では反対に、怒らなければ平和なのでしょうか? 例えば職場で、強い口調で仕事を頼むAさんと、それをいつも黙って引き受けるBさんがいたとします。二人はケンカをしませんし、仕事も進みます。一見すると安定した関係です。でも、Aさんは「強く言えば聞いてもらえる」、Bさんは「我慢すれば揉めずに済む」と学んでしまったらどうでしょう。怒る人と我慢する人の組み合わせで、ちょっと歪んだ「安定」ができあがってしまいます。
「怒らない」と「怒れない」は違う
怒りを感じても、すぐ表に出さずに少し待つことは大切です。しかし、「怒らない」と「怒れない」は違います。嫌なことをされても「嫌です」と言えない。無理な頼みでも断れない。自分の意見があっても、相手が怒りそうだから黙っている。これが続くと、自分の気持ちや希望がいつも後回しになります。反対に、怒る側も「相手が何も言わないから大丈夫」と思ってしまいます。争いが起きていないことと、よい関係であることは、必ずしも同じではないのです。
古典を読んでみる
ずっと昔、中国の思想家・老子はこんな言葉を残しています。
「大國不過欲兼畜人,小國不過欲入事人。夫兩者各得其所欲,故大者宜爲下」
ざっくり訳してみると、「大国は多くの人を包み込みたい。小国は大国と関係を結びたい。お互いが望むものを得るためには、大きな側こそ譲姿勢を見せるのがよい」といった意味になるでしょうか。ここで面白いのは、「弱い側が我慢する」ではなく、「強い側こそ一歩下がったほうがよい」という発想です。
譲るけど、譲ってももらう
人間関係でも同じように考えられます。怒って相手を従わせるのでも、ひたすら我慢して相手に合わせるのでもない。「私はこうしたいです」「それはちょっと困ります」と自分の考えを伝えながら、相手の言い分にも耳を傾ける。自分の希望を100%通すことだけを目指さず、相手にも100%の我慢を求めない。必要なら自分から一歩譲るし、相手にも譲ってもらう。そんな相手を尊重しつつ自己主張する関係が、安心できる関係なのだと思います。
怒りをなくしてしまう必要はありません。怒りは「これは嫌だ」「ここから先には入ってほしくない」と、自分の大切なものを教えてくれることがあります。その声をなかったことにするのではなく、どう相手に伝えるかを考えてみる。二千年以上前でも今でも、いつの時代でも、相手の意思を尊重し互いに譲り合う姿勢を持つことで、安心できる関係が築けるのではないでしょうか。
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