
こんにちは、アルファ日暮里駅前のBlog担当です。私たちの事業所がある首都圏では、早くも夏日を迎えています。そう言えば今年の4月から、気象庁は「最高気温が40℃以上に達する日」を「酷暑日」と呼ぶことにしました。「40℃以上の日」と説明されるよりも、「酷暑日」とひとつの言葉で言われた方が、「とんでもなく危険な暑さなんだな…」という感じがしますね。言葉にすることで、ぼんやりしていたものが急にはっきり見えてくる。今回は、そんな「言語化」について考えてみたいと思います。
言語化するってどういうこと?
みなさんが考えごとをする時、頭の中ではどうやっていますか? 絵や写真のようにイメージで考える? 音楽のように音で考える? それとも匂いや感覚で考える? 人によって違いはありますが、多くの人は頭の中である程度は「言葉」を使って考えています。文字かもしれませんし、頭の中で自分に話しかけるような声かもしれません。
ただ、気持ちや感覚のままになっていて、うまく言葉になっていないこともよくあります。「なんだかイヤ」「なんとなくモヤモヤする」「たぶん悲しい」。そんなふうに、ぼんやりしたまま頭の中に残っていることはありませんか? 「言語化する」というのは、そういうあいまいなものに言葉を与えて、「自分はどう感じているのか」「何が起きているのか」をはっきりさせていくことなのだと思います。
言語化とは「具体化」
「言語化する」は、「具体的にする」と言い換えることもできます。たとえば、「やばい、うまい!」と言われるより、「上品な甘さと、口の中でふわっと溶ける食感。このどら焼き、最高!」と言われた方が、「なるほど、おいしそう!」と伝わる気がします。
具体的な言葉にすると、いいことがいくつかあります。ひとつは、「どこがどういいのか」「どこがどうつらいのか」が、自分でも分かりやすくなること。もうひとつは、相手に誤解なく伝えやすくなることです。そして、自分でも気づいていなかった気持ちに気づけることがあります。「本当は悲しかったんだ」「怒っていると思っていたけど、不安だったんだ」と分かることもあるでしょう。これまでのBlogでも、「自分の気持ちを書き出してみる」「考え方を記録してみる」という話をしてきましたが、それも言語化のひとつですね。
具体的にしすぎることの落とし穴
ただし、「言葉にすること」は、いつでも良いことばかりではありません。いちど言葉にしてしまうと、「きっとそうに違いない!」と思い込みが強くなってしまうことがあります。
たとえば、「あの人は私のことが嫌いだ」と言葉にしてしまうと、そのあと相手が少し無愛想だっただけで、「やっぱり嫌われているんだ」と感じてしまうかもしれません。本当は、相手が疲れていただけだったり、たまたま急いでいただけだったりするのに、です。具体的に言葉になったものは、正しいことのように見えやすいのです。
また、誰かが言ったことや、本に書いてあったことを、そのまま自分の言葉のように受け取ってしまうこともあります。「私は繊細だから」「こういう性格だから仕方ない」と言葉にした瞬間に、自分の可能性を狭くしてしまうこともあるかもしれません。
「今はまだ言語化しない」という選択
学校や会社では、「ぼんやりしていないで、ちゃんと考えなさい」と言われることがよくあります。どうやら今の社会では、いつもはっきりさせて、きちんと言葉にして、すぐに結論を出すことが「大人のやり方」らしいのです。
でも、いつもそれでは疲れてしまいます。言葉にしようとしても、うまく言えない時もあります。そんな時に、「ちゃんと説明できない自分はダメだ」と思わなくてもいいのです。
無理に言葉にしなくても、「まだうまく言えないけれど、なんとなくこんな感じがする」で止めておいてもいい。あいまいなまま、少し時間を置いてもいい。ぼんやりしている時間や、はっきりしないまま持っている時間があるからこそ、あとになって「あ、こういうことだったんだ」と見えてくることもあります。
言語化することは、とても役に立つ道具です。でも、いつでも使わなければいけないわけではありません。「今はまだ言語化しない」という選択も、私たちにとって大切な考え方なのだと思います。
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